事業承継 ~たたら製鉄と古式鍛造~

 四万十川沿いを上流へ向かうと、山間のくねくね道のその上に四万十川を渡る赤い口屋内大橋が見えてくる。

 その赤鉄橋の右岸側にある工房くろがねは、今から約20年程前に先代の趣味が高じて、たたら製鉄と古式鍛造鍛冶体験施設としてスタートした。

 弟子として修行していた林さんは、10年かけて師匠から継承したこの工房の技術を今も守り、伝え続けている。

『 最近はどこも後継者不足で、仕事を継ぐ「事業承継」が課題になっていて、その他にも「これからの時代は趣味が仕事になる時代が来る。」と言われているようですが、林さんはその最先端になりますね。 』

 最先端ですか?(笑)自分はそんな目的意識を持っていたわけではなく、ただ単純に田舎で自然に囲まれた暮らしがしたいと思っただけなんです。

 人がいない山で暮らしたいと思ったのが移住を決めたきっかけでしたね。

 移住後は、農業がしたいと思っていたので、自然のいっぱいあるところでいつか有機農業でやりたいなと思っていたんですけどね。

『 前職は? 』

 僕は愛知県の出身で、学校を出てから都市近郊土地集約農業で、露地野菜とか麦とか田んぼを作っている農事組合法人で働いていました。

 今思うとあんまり向いてなかったなと思うんですけどね。

 そこは、自分が望んでいたいた農業とは違ったので、他の国に行ったらもっと面白い農業があるのではないかと思ってニュージーランド(NZ)にワーキングホリデーに行ってファームステイをしていました。

『 四万十市への移住を決めたきっかけは? 』

 そのNZで暮らした経験から、仕事としての農業ではなく、森の中の一軒家で、人も車も来ないようなところに行って、のんびり暮らすのをライフスタイルとしていくのもいいかなと思ったんです。

 NZから帰って3年ぐらいは実家からそういうところを求めて九州行ったり、奄美大島に行ったりしていたんだけど、あまりピンとくるところがなくて、決めかねていた時にたまたまアウトドアの雑誌にカヌーイストの野田知祐さんの記事でよく四万十市口屋内の事が掲載されていて、他に当てもないし行ってみようと思って四万十市に来たんです。

 最初は、つてもないので河原でキャンプをしていたんですね。

そこで地元の人と知り合う機会があって、夜お酒を飲みながら、「こういう思いがあって田舎暮らしができるところを探している。」と言う話をしたら、「あそこに空き家があるから聞いてみたら?」って言われて、同じ移住者でカヌーのインストラクターをしている平塚さんが元住んでいたところを提供してくれて、「ただで良いよ、雨漏りもしてるし。」って、無料で家を貸してもらって生活していたんです。

『 移住後の仕事は? 』

 無計画できてしまったので、田舎暮らしをスタートさせるには良くない形ではあったんですけど、来た当時は34歳でね、最初は地元の人に紹介してもらって、ボーリング場のカラオケボックスとかで2~3カ月程アルバイトしていたんですけどね。

『 くろがねとの出会いは? 』

 鍛冶の師匠だった岡田さんが、僕の住んでいた家のすぐ近くに工房を作り始めたんですね。

 県が主催の「県民参加の予算づくりモデル事業」で、幡多地区の課題と、何ができるかを話し合った結果、各地域で冬場の観光を何とかしようと言う話になり、師匠が趣味でやっていた、たたらの体験ができる「工房くろがね」をやることになったんです。

 師匠と一緒にお茶を飲んでいるときに師匠が、「林君、せっかく田舎暮らしがしたくて四万十市に来ているのに、山は夜帰ってきて寝るだけ、カラオケボックスの受付でバイトってそれじゃあ町の暮らしと変わらんがじゃないか?それならこのくろがねで買うから、炭でも焼いたらどう?」って言われてね。

 炭も焼いた経験もなかったのに、「それはいいですね!やります」って(笑)

 地元の炭焼きのおじさんを紹介してもらって、炭窯作るところからから習ったんですよ。
 半年くらいかけて石を積んで粘土を練って、師匠や友人達に沢山手助けしてもらって屋根をつけて、完成して炭焼きがスタートしたんです。

 工房くろがねで買うって言っていたんですけど、工房くろがねもスタートしたばかりであまりお客も来ないし、そんなにたたらもやらないから炭もそれほど必要じゃなかったんですね。

 最初のうちは暇だからよくお茶飲んで話をしていましたね。

 すると師匠がね、「炭焼きもいいけど林、たたらも一緒にやるか?」って言ってく
れて、「いいですね!面白そうだからやりましょう。」って感じで弟子になったんです。

 ナイフが好きとか、日本の伝統職人の文化を残そうとかそんな情熱があって弟子になると決心して入ったわけではなく、自然の流れでそうなったと言う感じですね。

 自転車に乗るように練習すれば何とかなるかで、入ったんですけど、当然そんな甘い話はあるはずもなく!(笑)

『 きびしかったですか? 』

 師匠は職人タイプと言うかなんだろう…昔気質の侍のようなパーソナリティを持った方だったから、弱きを助け強きをくじくようなタイプの方で、弱い人は助けるんです。
 自分で這い上がろうとする人や、自分でやろうとしている人は助ける。

 見て覚えろっていう厳しさでもなかったから、今思えば手取り足取り理論的に解り易く教えてくれたので、優しかったのかなって思いますね。

 もちろん聞いただけで出来るものでもないから見て覚える所もあったんですけどね。
 しっかり何をしているか見ているし、怒り方もまっすぐだから理不尽ではなかった。

『 怖かったですか? 』

 もちろん!365日怒られていましたからね。
 怒られない日はなかったくらいで、やり方は昔風ではありました。
 上司と部下という今の関係性とは全く違って、師匠と弟子でしたね。

『 覚悟があったわけでもなく、好きでやり始めたわけではないのに、そんなに厳しいのに耐えられたのは? 』

 中々鋭い!(笑)
やはり一つは、まちの暮らしはしたくなかった。ここが好きだったから。
 実家に又帰って何かできることもないし、自然の中で暮らしたいと言うのが軸に有ったので、どうしても帰りたくなかった。

『 林さんにとって師匠はどんな存在でしたか? 』

 怒られ方は近所中噂になるくらいだったと思います。
だけど、それでもやめなかったのは、やっぱりなんていうか…。  

 師匠は全くの善の人でね、怒られても、怒られても、理不尽ではないんです。
 なぜそうなのか、かならず納得いくまで説明してくれましたしね。

 理不尽で怒られるのはつらいだけだけど、自分の足りないところがちゃんとわかるように教えてくれていたから、納得は行きますよね。

 だから耐えられたし、師匠の人間性にひかれていましたしね。
 人として、正義の人だったし、芯を持っている人だったから…。
 そういう生き方も好きだったんですよ。

 そういうのを自分の旗として、まっすぐに挙げられる人だった…、あまりそんな人いないですよね。

 だから余計つらいところもあったのですけどね(笑)

 正義だから本当の事だから言われるとつらい。
 僕は怠けるし、正義ではなかったし、そういう意味でも、精神的にも技術的にも鍛えられましたね。

 すべて、自分の持っていないものを持っている。
 僕とは真逆の人でしたよ…、白黒はっきりつけてね。
 間違っているものは間違っているし、正しいものは正しいと言える人だった。

 本当に…まっすぐな人でしたね。

 価値観としては、同じだったから耐えられたんでしょうね。
 これが腹黒いだけの人だったら、たぶんすぐやめていたと思うな…、そんな人とは一緒にいられないですからね。

 師匠は僕が相手できつかっただろうな…。
 今だから思えるけど、憧れのような…とにかく尊敬できる人でしたね。

 当時はそんなこと思う余裕もなかったですけどね。
 殴られたことはなかったけど、怒られて頭は真っ白になって、当時僕の家はゴミ屋敷でしたよ。
 ここに来る以前はだらだら暮らしていたから、完全にキャパオーバーでしたね。

 工房くろがねは、正月以外は毎日師匠が来るから、僕も休みなしでした。
 昔はそんなにお客さんも来なかったので、赤字でしたからね。
 よく来てくれたなって思いますね。

 最初に「儲けは折半な。」っていってくれて、「お前会計やれ。」って言われて、僕は何にも考えてなかったから、「そうですかありがとうございます。」って普通に師匠と同じ給料をもらっていましたけど(笑)弟子が師匠と同じ給料なんて!良心的と言うか優しいですよね。

 最初の頃はお客さんも一人二人で、収入も少なかったから、師匠と一食100円でやっていこうって畑を作ったりしてやっていましたよ。

 僕を育てるために来てくれていたんでしょうね。

 当時はHPしかなかったから、本当にお客さん少なかった。
 最終的にはお客さんも増えてきましたが、僕がさぼってばかりで飲み込みも悪かったから、割合も半分ではなくなりましたけど。辞めさせられることはなかったですね。

 最後まで育てようとしてくれた。

 その当時は、ぼーっとしていたからわからなかったけど、自分が経営をやりはじめてから余計師匠のすごさが分かるようになりましたね。
 どうやって運営していたんだろうって思いますよ。

 最後の5年間は工房に住んで僕を育ててくれたから、当時はきつかったけど、今は本当にありがたいと 思っていますね。

 師匠は何かあった時にも、瞬時に背景や理由が分かってしまうから、判断が早かった。
 相手の裏側が分かるから、余計しんどかったでしょうね。
 だからいい人にはとても良くしていましたね。
 僕は不器用で師匠のように頭の回転も速くないから、苦労を掛けましたね。

『 師匠がいなくなってからはどうでしたか? 』

 師匠が亡くなった時点では60点、基本的なことは教えてもらっていたから、それからは経験から学んでいった感じですね。
 でも、今も意識的にはまだまだだと思っています。

 師匠が亡くなった時には足が震えましたよ。

 これから甘える人もいないで、自分でやってかなきゃいけなくなった。
研修生が来たら教えなきゃいけないし、作品も作ってかなきゃいけない、どれだけ頼っていたのか痛いほどわかった。

 師匠が亡くなって、何とかしないと!と思ってFBを始めてね。

 くろがねがやっていることは特殊で希少価値があるのは解っていたし、今はNETで世界とつながれるからレスポンスが良くって、僕はNZの経験があって英語ができるので、海外のお客さんが増えていってね。

 ナイフの注文や研修が来るようになって、外国の方には受けると思っていたから、英語と日本語で発信するようにしていたら、ちょっとずつ広がって行った感じですよ。

 2~3年後にぽつぽつと来だして、リピーターや知り合いがつながって行った感じで、9年かけて本当増えたのはここ4~5年ですよね。特に去年から急に増えましたね。

『 もっと規模拡大したいと思いますか? 』

 僕は一人でやっているから、団体さんは受け容れていないんです。
 それよりは個人でクオリティの高い内容の濃い体験をやっていきたい。

 例えば道の駅だったら、大勢の人に浅く広くで良いんだけど、くろがねでは自分の持ち味を生かして、希少価値のある特化したことをやりたいし、自分のできる範囲でやっていくのが目標ですね。

 鍛冶とたたらと英語、すべてが一人で出来るのは珍しいので、それを前に出してやっていこうかって感じです。
 もちろん、そのレベルを上げていくと言うのも課題として持ち続けているんですけどね。
 自分の技術力を上げてかないと!
 あとは健康でいられたら、世界中の人が来てくれる工房になっていくと思います。

『今後の課題は?』

 去年は毎日お客があって、目いっぱい働いた月もあったから、自分のできる範囲が分かりましたね。
 すべて受け入れていたら作品製作ができなくなるから、そのバランスを考えながら、やってかないと…。

 機械を使って効率化するのではなく、手作りの良さは残したいんです。
 くろがねの良さが無くならないようにしないとね。

 人を雇うと言う選択肢もあるけれど、僕は一人でぽつぽつとやるのが好きだから。

 ナイフは手作業でやらないと自分も面白くないし、お客さんも手作業の方が喜んでくれるから、そこはこだわりたいですね。

 後はPRですね。
 HPが昔のままなので、新しくしたいとは思っていて、自分でやりたいからなかなか進んでいませんけど(笑)そこから連絡ができるようになれば、きっとお客さんも増えてくるんじゃないかなと思っています。

 でも僕の田舎に来た理由は【のんびり暮らしたい】なので、忙しすぎるのはどうなんだっていうジレンマもあるんですよ(笑)

師匠が亡くなって2~3年はアップアップでしたけど、周りにも認められるようになって、今は自分のペースである程度やれるようになってきていて、食っていくだけなら今でもやっていけるけど、最近は工房の方も古くなってきてガタピシ来ているので、ちゃんと稼いで設備投資をしたり、維持していくことも考えないとなって思っていて、維持管理の為の利益も必要なんだと遅ればせながら気づいたところです。

 そしてね、もしもこの工房を継ぎたいって人がいたら…。
 継業ができたら万々歳ですね。

 自分自身は僕の代で終わってもいいんだけと、やっぱり師匠の技術を残したいしね。

 研修生の中には師匠の代から来てくれている方もいたり、自分でたたらを始めて個人でやっている方もいるから、くろがねの師匠のたたら製鉄技法は、来てくれた研修生さん達に伝わり広がっています。

 そういう意味では技術は残って行ってはいるんですけどね。

これからも増えていくと思うから、師匠から頂いた基本的なところはちゃんと継承されているんです。

『 どうしても弟子にしてほしいって方が来たら? 』

 そうですね。その人にもよるけれど、来てみないと何とも言えないですね。
 お給料を出せる余裕はないからね。
 師匠みたいにふと来た人に、半分あげるなんて言えないですね(笑)

そう思うと改めてすごい人でしたね…。

 そう言って懐かしそうに笑う林さんの笑顔は、これまでの修行のつらさを乗り越えてきた達成感と、厳しくとも情に厚く、まっすぐだったと言う師匠への尊敬と感謝の気持ちにあふれていた。

 始まりは偶然の出会いから、決意をして弟子入りしたわけではなかったが、【自然の中で暮らしたい】と言う彼の中の軸がぶれなかったことが、厳しくとも粘り強く継続できた要因であろう。

 夢をかなえることのできる人の条件は、賢さでも裕福さでもなく、決してあきらめない【粘り強さ】だと言われている。

 人生の軸をどこに持つか?

 千差万別の選択肢があっても良いのではないかと思う。